仕事の醍醐味 (5)

1985年3月27日。東京デビュー。 これは、受け入れ側にとって衝撃的なものとなりました。 その訳を話さなくてはなりません。 その年の1月31日はとても寒い日でした。 私は隣県の奈良に家を持っており、そこから大阪の淀屋橋まで通勤しておりました。 その夜、酒を飲んでの帰宅。 最寄り駅に着きますと、雪。 私の家はそこから二…
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テレサ・テンの歌

彼女の代表曲の一つ、「つぐない」。 窓に西日が当たる部屋は いつもあなたのにおいがするわ ひとり暮らせばおもいだすから 壁の傷も残したまま置いて行くわ 愛を償えば別れになるけど こんな女でも忘れないでね 優しすぎたのあなた こどもみたいなあなた 明日は他人同士になるけれど {%音符webry…
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ミモザと水仙

春まだのハズが、季節はずれの暖かさに・・・。 先週末の話。 (ミモザの花咲く頃)とか(水仙の香る頃)とか、妖精的な可憐な春のヨーロッパを思わせる花が咲き誇っていました。 細君と家から出発して長い散歩をしている途中で見かけた花々です。 地図も持たず、目的も決めず、こっちの小道あっちの露路を気儘に歩くのは楽しいものです。…
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仕事の醍醐味 (4)

1985年3月。  32歳 妻一人子供二人。ペットなし。持家有り。借金多々。海外経験なし。 平凡且つ当時ごく普通のサラリーマン。 週に一、二度はマージャンをし、一杯飲みながらカラオケを歌い、たまにディスコ(今のクラブ)で踊り、 月に一度はゴルフをし・・・。 それでも仕事は半端じゃなくこなし、喧々諤々の議論をしながら会社のあり方・…
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仕事の醍醐味 (3)

財務関係の仕事を6年もやると、さて商社本業の営業へ行くかという気持ちも入社の時ほど単純でもなく、 どこが面白いか、どこが将来性があるかといった知恵も付き、また自分の適性も見え始めで、あまり財務から外れることを考えなくなっておりました。 そうした時、「資金課」への異動の話があり、1も2もなく受けたのでした。 この「資金課」というとこ…
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心に残る言葉

さりげない会話、さりげない読み物の中に、一瞬自分の腑に落ちると言いますか、合点がいくという言葉があるもので。 それは他の人には何の感動も印象も与えないようなものの多々あります。 そこで、そのいくつか。(いいことも悪いこともありますが。) 悪い例を二つ。どちらも受験の前の出来事。 小学校六年生の時。元来落ち着きのなかっ…
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そこまでせんでも(;一_一)

かれこれ6~7年通ってますかねえ。毎月一回は必ず。 好きで通ってる訳ではありませんが、こればかりは生理現象ですから。 でも、これがどこでもいいと言う訳には参りませんで。 長年、いろいろな所に行くのですが、これといった所がありませんで。 やっと今のところが気に入って、もうそこ以外は「嫌だ!」となっているのです。 「何の話やね…
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仕事の醍醐味 (2)

「総合商社」 私が入社した当時、従業員は4-5千人・取扱高6兆円(だったように記憶します。) 当時はまだ、すべてが人手で処理されていた時代。 すべてが紙で処理されていた時代。 たとえば電信。 海外とのやり取りは、まずテレックス用紙なるものに手書きで書きこんで 電信室なるところへ持ち込んで出電するという・・・。 その原稿も、…
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商事会社と商社

これから書くことは、とても退屈な内容です。お暇なら見てください。 もちろん、一般的に表題の二つは同じものを指しています。どの辞書を引いても。 しかし、ここでお話しする「商社」とは、世界の中で日本しか存在しない機能組織としての企業形態です。 日本は、戦後壊滅的な破壊の中から驚異的復興を遂げましたが、その一翼(というか、そ…
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残心と丹田

「心残り」でも「屯田兵」でもありません。 どちらも武道用語です。 剣道でも言いますが、ここでお話しするのは弓道での「残心」と「丹田」。 私は、大学で四年間日置流の弓道をやっていました。 と言っても、技量的には全くのへたくそのままで、試合に役立つ部員ではありませんでした。 グループ活動としてのスポーツとして弓道をしていたので…
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仕事の醍醐味

英語で言うところのビジネスマン(日本語でいうところのサラリーマン)という職業ほど多種多様な仕事はありません。 「お父さん、会社へ行って何してるの?」と子供に聞かれて、スッと答えられる人は余りいないでしょう。 斯く言う私も例外ではありません。 職人さん(それが何であれ)・漁師・農業、すべて答えやすく分かりやすいお仕事です…
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シュールな夢

大概よく夢をみます。 毎日といっていいほど見ます。 ほとんど忘れますが、断片的に覚えていたりします。 最近何故か、蛇の夢を見ます。 蛇の夢は、お金が貯まるといいます。 (因みに、朝の蜘蛛は吉兆だから殺してはいけないと言います。関係ありませんが。) ある日出張で東北(多分秋田だと思います。)に出かけました。 そのあと、食…
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間違ってまっせ、学校の英語 !!

さて、いよいよ新しい彫刻始まりです。 白衣観音。 去年、丈10センチばかりのものは彫ったのですが、今回は8寸5分(約30センチ)。 ヒノキを使って、初めてのほぼ完全な仏像。 ヒノキの香りがたまりません。 仏像彫刻も、日進月歩です。 先日若い女性たちと飲みに参りました。 たまたまイタリア人が同席していたので、座興…
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小牧物語ーその4

さて、その日は突然やって来ました。 と、本題に入る前に、記録すべき出来事についてまずお話します。 2000年9月、中部地方に記録的な豪雨が襲ってきました。 私は小牧の会社で、数十項目に及ぶ従業員からの質問状にどう回答しようかと頭を悩ませ、夕刻を迎えようとしていました。従って外の気候も、「結構降ってるなあ」程度の関心しかなかった…
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小牧物語ーその3

間があくと尻切れトンボになりそうなので、一気に話してしまいましょう。 小牧でなんともとんでもない毎日を過ごすようになって、まだ数カ月です。 同時並行で、様々な問題が進行しつつも、個人的には崖っぷちに立って居る訳でもなく、週末には近所を散策したり名古屋に足を延ばしたりしていました。 この小牧という場所は、かの「小牧・長久手の戦い…
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小牧物語-その2

前回書いたような、とんでもない問題を抱えた会社の面倒を自ら引き受けて私の新たな仕事がスタートしました。 この会社は、洗濯機のドラムの軸受けを射出成型で作る特殊な技術を唯一の価値として各電機メーカーに製品を供給していました。 会社は、若い社長とその母親、血のつながった親族が工場と事務所を切り盛りするという家内工業に近い組織で、…
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小牧物語

平凡でささやかな人生の中にも、余り出くわさない珍しい経験というものは誰にもあるものです。 私の長いような短いようなビジネスマンとしての経験の中でもこれから語ることはやはり書き記しておくべき出来事だろうと思い、ここにその一部始終の顛末を述べようと思います。 (まだ、そのビジネスマンの生活が終わったわけではありませんが。) 時…
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ポレンジャー号

と言っても、「何、それ?」ってなもんですが。 1975年私が社会に出て大阪で働き始めた時あたり、総合商社の安宅産業が倒産しました。総合商社で働き始めた私にとってそれは衝撃的で且つ、劇的な出来事でした。 倒産の原因がカナダの石油開発に伴う巨額な債権焦げ付きであったことも記憶に残っていました。 それから十年。 私は長い大阪での財…
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何故か三十三間堂のこと

昨年京都を旅した際、今までなぜか行ったことのない三十三間堂にいたく感動し、いまだに記憶が鮮明なので ひとつブログろうかなと。(この際、’ブログ'を動詞活用しています。) このお堂は、何とか言う上皇が仏教帰依の為日本中の当時の仏師をかき集めて、百数十体の同じ千手観音を彫らせ安置したお堂。その中心の巨大な千手観音は、運慶の息子の湛慶…
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『へぇー?!』って話

ある日の夕方、『さて、そろそろ帰ろうかな』なんて寛いでいたと思し召せ。 仕事の仲間が、ツカツカっと私のところへ来て、 『どうも。今ちょっとお邪魔してもいいですか?』 また厄介な相談事でも持ち込んできたかなと思いつつも、気の進まない顔は素振りも見せず、 『やあ、いいよ。まあまあ腰掛けなさいな。』と椅子をすすめて、何かありましたかと…
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