南国物語 第二話

さて、物語は少し(と言うか、随分)遡り、この第三の挑戦に到るまでの道のりを語りたい。

正確に言うとこの挑戦は第三ではなく、『第四』の転身である。

長らく務めた会社を辞めた後約半年(実際関わったのは4カ月ほど)、愛知県の小牧市にある洗濯機の部品メーカーに社長の指南役というか管理全般の面倒を見てほしいと誘いがあり在籍していた。
何故回数のうちに数えないかと言うと、言うのが恥ずかしいとか記録として留めたくない不愉快な経験だったかと言えば、そうではない。
逆に、これまでのビジネス経験でこれほど稀で得難い経験をしたことがないほど信じがたい出来事の濃密な時間であった。
ただ、自分として何かをし遂げたという実績がない為に数に入れていないだけである。

物書きの才能があれば一片のドラマとして面白おかしく書けるほど、中身も登場人物も興味深いことばかりであった。

ここまで書けば、その一部を披露しない訳にはいくまい。

私の前職の同僚とはかねて会社を辞めることは喋っていたのだがいざ辞める日が迫っていた頃、

『この前上海出張の帰りの飛行機で隣に座っていた年配の女性とつらつら雑談していたら、『私の息子が会社を経営しているんだけど、何分親の仕事を継いだだけで会社の運営をどうしたら分からないの。どなたか補佐してくださる人いないかしら?』と問い掛けられた。』と言う。
その友人は、即座に私のことが頭に浮かび、
『そりゃあぴったりの男がいますよ。今そいつは会社を辞めて、今のところまだ次は決まっていないと言ってましたから、早速帰国したら話をしてみますよ。』と応じたという。

事実辞めると決めたくせに次の職をどうしようこうしようという動きをしていなかったので、深く考えもせず、「無職期間が無いならそれに越したことがないや。」と思い、
「いいよ、一度その会社に行って話を聞いてみよう。」
とトントンと進めてしまった。
まさに出会い頭の転職話であった。

その会社に行くと、従業員30人ほどの町工場で、洗濯機のドラムの軸受けとなる銅管を専門に作っているという。それを三又に成型するのに技術があり、いくつかの大手に収めているという。

社長は30歳を少し超えた、狂言の野村萬斎をひ弱くしたいかにも坊ちゃん二代目社長で、しっかりそばには同僚が話したという藤田弓子をもっとおばさんにしたような小太りの女性が同席していた。

雇う側雇われる側、面接者と応募者といった景色では全くなく、最初から、私がコンサルタントのごとく、会社の状況・これからどうしたいのか・その為の私に対する希望と言ったやり取りで、結果として「社員」としてというより、むしろ常駐の「経営コンサルタント」としてこの会社に関与していくと言うのがお互いに既定の如く話が進められていった。

生活の設営も終え、足となる真っ白いホンダアコードの新車も買い、
後顧の憂いもなく新たな世界をスタートさせた。
会社が町工場であろうが、従業員が30人足らずであろうが、場所が田んぼに囲まれた市外にあろうが全く気にならなかった。

『ああしろ、こうしろ。』と指図されることもなく、こちらの言うことは全て唯々諾々と受け入れてくれる素朴な人たち、のように見えた。
事務所には、あまり顔を出さない若社長・彼の叔父・叔母夫婦と定年後入ってきたような小使い仕事をする気の良いおじさんがおり、工場には組合系のボスが仕切っているという、さほど変哲もない中小企業の様子に見えた。

仕事はまず、会社の現状把握と社内の整備状況の確認、経営計画・資金計画などといった一通りのことを片づけるのにさほど退屈もせず、
社長とお母さんは気を使ってか、ここそこの美味しい食事に毎日‘接待’してくれて、居心地の良い日々が始まった。

スタートしてから自然の流れの会話を通して会社の実態も分かりつつあったある日のこと、社長のお母さんから、
『実は、この会社を立ち上げた主人と私たち(息子の社長とその姉、今中国の杭州に居る娘)とは、今裁判で争っている状態なんです。』

と、明かされたのである。
ここからが面白い。
それは次回に。

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