やり過ぎでしょうか?
もうお地蔵さまを二体も彫っているのに、仏頭も二体彫り始めました。
一緒にやってる若者なんて全部で五体同時進行ってんで、対抗したりして(なんて訳ではありませんが。) 大分、修行の趣になってきました。と言っても楽しいのですが。
今日もちょっと重たい記憶の話。
5歳年上の長兄、1995年に47歳の若さでガンで亡くなった。
団塊の世代の人間の典型のように、がむしゃらに生き、駆け抜けるように逝ってしまった。
日本の経済成長を疑うこともなく、自らの企業人生をそこにぶつけることが全ての幸せに結び付いていることに何の疑いも持っていないような兄だった。
家族にその気負いも苦悩も殊更に見せることもなく、そして体をズタズタにして逝った。
いま、その兄が命を賭けた企業はバブルの崩壊後その名前を消した。
妻子にもそうであったが、弟である私にも同様、いつもコワモテでそして言葉少ない兄であった。お互い歳も違うし、働く場所も違うことから年に一度会うか会わないか、会っても「どうしとるんだ?」「まあまあやな」である。
それでもいつかはゆっくり話もしよう、ゴルフもしようと思い始めた頃病に挫折した。
闘病の数年間はゆっくりと兄嫁との時間を過ごし、ある意味では幸せだったのかも知れない。
もう最後かも知れないと兄嫁から聞かされて、単身先の名古屋から入院先の奈良に駆け付けた。兄にはガンであるとは告知していなかった(少なくとも、家族は聞かされていないことになっていた)ので、病室に入っても殊更大したことはなさそうに振舞うべく、
私「何やってんねん、だらしないなあ。」
兄「お前こそ忙しいのに何わざわざ来とんねん」
私「何いうてんねん、たまたま出張で大阪来たから寄っただけや」
私はこれ以上は話すことができず、
「なら、帰るわ」と病室を出た後、涙があふれ出た。
これが兄との最後の会話になった。
後悔などはしない。所詮人の別れなどありふれた出来事だ。
「たら」とか「れば」とか言っても始まらない。
ただ、思う。話すべき事、思いを伝えたいと思う人に、私はできるだけ伝えようと。
それにつけても、中島みゆきの「地上の星」を聞く度に、兄を思い出す。
「見送られることもなく、見守られることもなかった」けれど、兄は昭和に自ら光輝いた
「地上の星」だった。
"やり過ぎでしょうか?" へのコメントを書く