さてインドネシアも関わりあって3年

表題とは関係なく、当地インドネシアに居住を始めてこの方、ほぼ週日毎日日本に居る細君と昼食後の30分ほど無料電話で会話するのが日課になっている。
特別、義務とか嫌々とでやっているのではなく、飽きもせず面倒でもなく、取り留めのない会話で時間が過ぎていく。
離れているが故に会話も途切れず、話題も偏らず、私には良い脳内開放とリラックスの時間になっている。

多分一緒に暮らしていたらここまで会話はないに違いない。

ただ、会話をしているからお互いがより深く分かりあえているかと言うと、そこは分からない。まあ全くそりが合わないなあという失望感を抱くことがないのだから、そこそこの相性はあるのだろう。

お互いに気遣いをしながら会話をしているという点では夫婦のマナーをわきまえた夫婦と言える。

細君がどう思っているか分からないが、私は細君が居なかったら全く今の自分はここまでちゃんと生活してはこれなかったと確信している。

誠にもって細君は私がなし得ない、もしくは不備な部分をしっかりと補完してくれて来た。(今もそうしてくれている。)
元来私はお人好しであり、ぐうたらであり、うかつであり、軽薄な人間である。要するに子供のように生活弱者なのである。
それをそのまま放っておいたら、しっかりとやるべきこともやらずほったらかしにして、人の甘言に流されて、規律の取れていないだらしの無い生活をしていたに違いない。

決して路頭に迷い生活に困窮する人生を送ってはいないにしても、今あるような社会的に確たる地歩を固めた人生は送れていないであろう。

適切ではないが、分かりやすく例えれば、細君に馬鹿にされない生き方あるいは細君が満足してくれる生き方をしなくてはいけないという使命と言うかプレッシャーがややもすると安きに流れがちな私にしっかりとした軌道の上を歩かせてくれたのだと思う。

細君とはそういう存在なのである、私にとって。
それは妻と言う存在でなくてはいけなかったのである。友達でも子供でも親でも親類縁者でもダメなのである。

妻と言うのは蓋し独特な存在である。
若い頃は、「妻と言うのは、生活を共に維持し子供を育てるという共通の目的を達成する為の契約者」だと考えていた時期がある。
その点で細君は完璧な契約履行者である。

しかし今は違う考えに至った。
細君は私のかけがえのない補佐であり支えなのだと。

もし細君が先に逝くとしたら、とても自分一人で遺漏なくすべての日常の生活するうえで必要な対応と処理などできないであろう。
よしんばできたとしても長続きしないであろう。
私はらくちんな船の上に乗っかって好きな踊りを踊って来たに過ぎない。

細君には申し訳ないが、このまま踊り続けてばたりと倒れる人生の終わり方を望んでいる。

人生を終えるとき、私は一言細君に「ありがとう」と言うことにしている。

親父の最後の言葉は、「家族仲良くせえよ。」であった。そこに親父の万感の思いがあったのであろう。親父が母にどういう言葉を残したのかは知らない。ただ、父は母をいとおしく思い感謝していたことだけは子供として分かる。

私は他の誰にでもなく、細君にだけ「ありがとう」を言えれば充分だと思っている。

遺言のようなことを書いているのは自分でも分かっている。これからも毎回書くことは、私にとってすべて「遺言」のつもりで書こうと思う。
死の予感がするとか死期が近いということではない。

何故か人生を一つ締める時期に来ている気がする。それは私の今の年齢だからとかではない。ただ、一旦締めるに十分なほど長く中身の濃い年月を生きてきたという実感がある。

このまま延長線で時を過ごすのはだらしがない気がしているのである。

一年に一度、一旦自分の人生を締めてみて、気持ちのリセットをするのも悪くない。それほど先の長い人生ではないのだから、ここでプツリと終わりにしてもいいくらいに残したい言葉を書き留めても悪くない気がする。

今は、第二の人生をまた始めるぞ、と言った考えも気概もない。ただ、だらだらは過ごしたくないとは思っている。
若い頃のように何年も見透かして今を生きることはもうしない。一年一年を括りながら次に進む生き方をしようと思う。

さて、来年の今日はどんなことを書き留めているだろうか・・・・・。





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