南国物語 第七話

2001年1月11日、
私と細君の、結果的には長い新たな生活がスタートした日。
細君にとっては実感としての変化はなかった昨日と今日であったろう。
しかしその後の日々の過ごし方、開けた世界への探訪・交友・精神的ゆとりなどははっきりと見えなくても、『たら、れば』で考えたら大きな変化の日々の始まりであった。

再就職先。

資本はイギリスの持ち株会社・経営母体はドイツという100%外資の機械部品の日本販売会社で経理部長を引き受けることになった。従業員は大体50-60人。元々日本人が販売会社を設立した後製造元が株式を買い取り子会社化したもの。社員は元から居る人間と中途社員が半々。

当時既に、『終身雇用』文化は多くの企業で崩壊しており、中途社員に対する排他感は全く感じなかった。
そういう点では時流に乗った転職だったと言える。

『外資系』にも色々あろう。

この会社は、日本の組織は全くもってカルチャーも人々も全く『日本』。よく言う、『まるドメ』(まるでドメスティック)。所謂欧米の言語も知識もビジネスプロセスも全く無用な組織。

外資系と言っても株式保有が欧米の複合企業(コングロマリット)というだけで、ビジネスの進め方に手を突っ込むことは無く、いかに投資効果として利益還元を得るかが主眼であった。

私が入った当時の株主はそうしたイギリスの投資グループであったが時を置かずスエーデンの企業グループが買収した。

そこは100年以上ゴム製品を主要な製品として開発・製造・販売を行っている会社であり、その投資と買収戦略はあくまで自社のコア製品に関連する企業買収・拡大であり、それぞれの買収先の経営・ビジネスに強い関心と関与を志向していた。

その会社に買収され、途端に親会社との絡みが劇的に変わり、いわば黒船が開国を迫るような、東インド会社が進出してきたような勢いである。

その波は当然ながらすべて受け入れるしかなく、そのフロントを幹部が引き受けることになる訳だが、英語が支障なく使えるのが社長とIT担当者と私くらい。それに加えて経理関係を含む個々の管理事項の親会社とのやり取りができる人間は私一人と言うことになった。

社長と言うのは、どこかの自動車関連の会社で設計をやってきた人物で、経営・管理など全くの門外漢であり、指示の理解すらできない人物であった。

従って、入社していきなり(と言っても、2001年の5月だが)全世界のグループ会社の幹部を集めてイギリスのバーミンガムで総合的なセミナーと会議があり、私が出席と言うことになった。

それまで曲がりなりにも20数年間国際ビジネスの世界で多くの国に関係した仕事をやってきていたが、それは所詮『日本』という親船の鵜飼の鵜に過ぎなかった訳で、ヨーロッパの組織下で日本の組織を管理していくという全く逆の視点でビジネスを推進していくというのは、私にとり一番大きな変化と言える。

今まで、一つの価値観のみに立脚して物事を判断していたものが、この時を境に、親会社と日本法人の時に背反する価値観をどう調整・整合させていくかが、この時から私の行動・判断の主眼となっていくのである。

幸いその為の語学力と交渉力と舞台度胸はそれなりに備えていたことが以後の数多くの事案の推進・解決に大過なく結びついたのではないかと思う。

元々、日本に二社あったグループ法人の統括責任者としてグループに雇われた英国人が私の面接の際、私が仕事の力量について風呂敷を広げたのに対し、『あなたは経理部長として採用されるので経理だけやっていただければ結構です。』とくぎを刺された舌の根の乾かぬうちに、『人事関係の話をグループとまとめてもらえますか。』、物流の件も、総務も、法務も、品質管理も、と後からあとから言いつかり、『やれやれ』と思いつつも他に人がいない以上やるしかないかと一つ一つこなしていく日々であった。

これらを一見、事も無げに捌けて行けたのは、やはり商社の20数年間に直面した様々な事案が体験記憶と参照記憶になって対応のための引き出しがかなりあったからに間違いない。

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