午後のうたた寝の中で

某月某日 一日中霧のような雨。
でなければ、街中にでも出かけて店をひやかして来ようと思ったが、結局ぐうたら家で何をするでもなく小学校のアルバムとかを漫然と眺めていたら知らないうちにウトウトと眠ってしまったらしい。

「xx!(私の名前)おみゃあ、斎藤雅子(仮名・小学校の同級生)が好きなんじゃあないんか。」と親友の花山俊夫(同じく仮名)が私を冷やかす。
「あ、あほ言え!あぎゃあなおかちメンコ好きなこたあありゃあせんわ!」
「ほおかのう?!あいつはおみゃあのこと、『xxクン(当然、私)、ちょおしい(お調子者)じゃけど愛嬌があってええねえ』言うとったで。」
「ほう、ほうか。わしゃあまあこれでもおなごにゃあモテルほうじゃけえのう。ハハッ」
「どうよ。ちょっと手紙でも書いてみいや。」

これは小学校6年生の11月のある日の昼休みの会話である。
私は、翌年2月さる国立大学の付属中学を受験することにしており、担任の高山公男(仮名)先生がクラスの受験生にボランティアで週末自宅で補講をしてくれていた。
高山先生は、年は多分40あたり、いかにも怖そうな(ホントに怒ると鬼のようだった)まゆ毛の濃い熱血先生であった。
それでも、クラスの生徒に合格してほしいと思ったのかその補講には熱心だった。

私が中学受験を決めたのは何故かそのひと月前の10月(まさしく東京オリンピックのあった直後)突然父に、
「お父ちゃん、ぼかあ付属受けようと思うんじゃけどええ?」と言い出した。
「おみゃあ、何をとぼけたことを言うとるんじゃ。今まで脳天気に遊び暮らしとった奴が、今から勉強して受かるわきゃあなかろうが。」
「でも、わしゃあやってみたいんじゃ。一生懸命頑張ってみるけえ受けさしてくれえや。」
しばらく押し問答があって、父も呆れて、「そぎゃあに言うんならやってみりゃええが。」
それから、学校に言ったり、どこで探したのか大学生のお姉さんを家庭教師に頼んだり。
親もあきれたことだろう。それまで、机の前に30分と落ち着いていたことのない子供が、いきなり「受験します!」では。

余談だが、その大学生のお姉さんは週に何度か家に教えに来るのだが、時間時で晩御飯をいつも出していた。
これが、いつも私が口にすることのないこぎれいな膳で、『なんじゃあ、こぎゃあな美味しいもんがいつも食えるんなら、もっと早よう言うときゃあえかったわ。』と内心思ったものだ。

そんなこんなで曲がりなりの受験勉強の日々のある日、くだんの悪友の囁きである。

「それじゃあ国語の勉強も兼ねてラブレター言うもんを書いてみようかのう。」とお調子者の本性がニョキニョキ。

家に帰って書けばよかったものを、その日の午後の授業中コソコソと鉛筆をなめていた。

『斎藤雅子さま
こんな手紙を出すのはものすごく勇気がいるのですが、思い切って書きます。
ぼくは・・・・』

と文句ををひねり出そうと自分の世界に没頭していたら、微かに「xx!xx!」と声が聞こえ
次に「xx!」とどなる声で我に返った。
「おみゃあ何をしとるんなら、先生が質問しとるのに、ホッケーッとしてからに。何をコソコソ書いとるんなら。」
と私の書き出しの紙片をつかみ取り一瞥した途端、
「あほんだら!おみゃあのような奴は付属を受ける資格などありゃあせん!廊下へ出て立っとれ!」
とげんこつで一発どつかれ。

スゴスゴと廊下で授業の時間中立ちんぼで、そのあとしおれた菜っ葉のように下校についた。

『こりゃあ、えらいことになった。お父ちゃんがまた、『おみゃあのような恥さらしは家にゃあ入れん!』とか言うじゃろうのう。わしゃあもう家には帰れん。どうしようかのう。もう死ぬしかないのう』
(なんどか悪さをしては父に家を閉め出されたことがある。)

当時学校のそばには家の方角とは違うがちょっとした池があった。
フラフラとそっちに向かい、その池端から足をズブズブと入れた。冬である。
『冷たいのう、じゃけど家にゃあ帰れんし。サブいのう、冷たいのう・・・。』

そこで目が覚めた。少し冷える部屋で何も掛けず眠っていた。


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