仕事の醍醐味 (3)

財務関係の仕事を6年もやると、さて商社本業の営業へ行くかという気持ちも入社の時ほど単純でもなく、
どこが面白いか、どこが将来性があるかといった知恵も付き、また自分の適性も見え始めで、あまり財務から外れることを考えなくなっておりました。
そうした時、「資金課」への異動の話があり、1も2もなく受けたのでした。
この「資金課」というところは、財務部の中心、ひいては会社の中枢ともいえる部隊で、ここの課長が歴代部長となり本部長となり役員となってきた、出世の本道のような部門でした。
私に出世欲があったと言うことではなく、そのような中枢で仕事ができることが魅力だったのです。

ここが何故会社の中枢であったかというと、会社のあらゆる生殺与奪の首根っこを資金という点で握っていたということです。
それは、権利と同時に、その権利が正しく執行されるための見識と判断力を求められたことは当然で、そこにいるスタッフは、剃刀のように鋭いエリート集団のように見えたものです。

さほど頭がいいわけでもなく、鋭くもなく、高尚な知識も持ち合せなかった私は、いつも劣等感を感じながらそのエリート集団の中でたたき上げのように仕事を覚え、こなしていきました。
とにかく、この劣等感というやつは、私の学生の頃から常に持ち続けてきた習性で、周りの連中が滅法頭がいいやつばかりで、スポーツも上手くて、勉強でもスポーツでも何やっても敵いません。
こっちは必死にしがみつこうと勉強するのですが、成績はいつも真中あたり。

会社に入っても、周りは選りすぐりの優秀な人たちばかり。

ただ、そのことを表には決して出しませんでしたが。
内心では、仕事のやり方・発想・考えでいつも「かなわんなあ(;一_一)」と思っていたものです。

しかし、これが私の成長の大きな力になっていたと今では思っています。

話がそれましたが、「資金課」での私の仕事は、如何に必要な資金を低コストで調達するか、ということでした。
それぞれの担当が、金融機関のグループでくくられ、私は当時まだあった地方銀行と相互銀行の担当。

当時銀行は今のように集約されておらず、地方銀行も相互銀行も各都道府県に最低一つはあった時代。

しかも、その銀行がすべて金を貸したくて仕方のない時代。
商社はその中でも与信・親方日の丸の時代ですから、喜んで貸付した時代です。

30の若造が、銀行の支店長と対等に資金交渉をしていたのですから、時代と言えばそれまでですが、
利害が介在していなければありえないことだったように思います。

後年、逆の立場で、キャリアの大蔵省・通産省の係長に頭を下げる時が来るのですが、人がその居る立場で
優劣が決まるという経験は避けられません。

ただ、それは立場の優劣であって、人間の優劣ではないことに気付いているかどうかが、その人の品格を決めることも事実です。(世の中には、それを混同している人のいかに多いことか。)


さて、次はいよいよ東京です。



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この記事へのコメント

にゃん子
2009年02月16日 20:36
 盆暮れに「石鹸詰め合わせ」を頂いていた良き頃ですね・・・。ちょっと懐かしいかも。